【54歳女性、約1年前発症左半身麻痺、立位、歩行に不安】
「堀尾法リハビリをする以前と以後の身体とこころの変化」
T.I(女性)、 発症時年齢・・・54才 発症年月日・・・令和5年11月28日 症 名・・・脳梗塞、左上下肢麻痺
私は、堀尾法リハビリに出会うことにより、絶望の中から救われました。そして、堀尾法世話人の吉井さんに温かく 丁寧なアドバイスを頂いたお陰で、前向きに、明るく考えることが出来るようになりました。堀尾先生、吉井さん、には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
再び生きる機会を頂きましたので、お世話になった方々に感謝して、堀尾法リハビリを伝えていけたらいいなと思います。体験を書かせていただくことにいたしました。読みづらく下手な文となり、大変申し訳ございません。
«堀尾法リハビリに出会う前»
①脳梗塞発症、急性期病院入院
11月28日の午前9時頃、私は自宅の居間でテレビを見ていました。仕事で行き詰まり、休んで家におりました。朝から左手がこわばり変な感じがして、足が動くことを確かめてから、しぱらく様子を見ることにしました。
すると、足がだんだん動かなくなってきて、私は這いつくばってテーブルの上にあったカバンの中にある携帯電話を取り出し、119番通報を致しました。私が施錠解除出来ませんでしたので、救急隊の方に窓から家へ入って頂き、急性期病院へ運んで頂きました。
私は、ICUに2日間いました。左手足は全く動きませんでした。話すことはできました。
三日目に私は一般病棟に移り、血圧が落ち着くまで、理学療法士、作業療法士、言語聴覚土の先生方からベット上でマッサージをして頂きました。私は早くリハビリをしないと、足首が堅くなって足の動きに支障が出ると聞いていたので、早くリハビリをしたいと焦っていました。
初め、左手は全く動きませんでした。また、左足も全く動きませんでした。
左手でタオルを押さえて机を拭くことから始め、親指と人差し指で掴めるようになってきました。そして、左足に装具を付けて、手摺を持てば、ゆっくりと進めるようになりました。移動は車椅子でした。
一般病棟は4人部屋で、程度は様々ですが脳梗塞、70代、80代の方でした。優しい方々で、いつも楽しくお喋りしていました。中でもお隣の 80代のおばあちやんといつも喋っていました。お互い励ましあっていました。
②リハビリ病院への転院
急性期病院に一か月人院した後、12月29日に回復期リハビリテーション病院へ転院しました。この時から、言語聴覚士のリハビリはなくなり、手のリハビリ1回、足のリハビリ2回の1日計2,
3回になりました。この病院は、全室個室になっていました。リハビリは自室か、ナースセンタ一前のベット(4つ)や、リハビリ専用室で行われました。
12月30 日に、9月から脳梗塞 (右手足麻痺)で入院されていた70代の女性と出会い、話をしました。その方は入院時寝たきりだったけれど、1月には杖無しで普通に歩くリハビリをされていました。病院の外歩きも体験して、1月10日に退院されました。私はこの時、70代、寝たきりの方が3、4カ月後には普通に歩くことを出来るようになっておられるなら、私も3、4カ月後には普通に歩くことが出来ると希望を持ちました。
しかし、私は、杖無しでは安定し歩けず、掴まらないとフラフラしてー人では立てませんでした。病院の理学療法士の先生 (私の担当は2人)には、「同じような症状でも、脳梗塞の部分が同じではないので回復しない人もいる」と言われました。私は、この言葉を不審に感じました。2人の理学療法士うちの25歳の男の先生に、「片脚立ちが出来ないと歩けるようにならない」と言われて、左足で何度も立たされ、私の左膝はがくがくするようになってしまいました。2週間後に退院を控え、毎日毎日、真剣にリハビリをしても、いっこうに上手に歩けないばかりか、左肩が下がり、不格好な歩き方をするようになってしまいました。しまいには、作業療法士の先生が、「歩き方がおかしいので、歩き方をみてあげる」と言ってくださったのですが、私は、これはトラブルになると思い、作業療法士の先生の提案を丁寧にお断りしました。
このように、3力月後の3月、私の手は回復し、物を掴む、ピアノを弾くことが出来るようになったのですが、足の方は杖無しは、安定して立てない状態でした。「これ以上は回復しない」と理学療法士の主任の先生からも言われて、不十分な気持ちのまま、不信感を持ったまま、3月29日にリハビリ病院を退院しました。
家に帰れるのは嬉しいけれど、これからどうすれば良いのか不安でした。しかし、足にはどこにも問題はないのに、何故歩けないのか?先生のリハビリのやり方は本当に合っていたのか?私は、諦めきれませんでした。
③自宅に帰りリハビリ開始
1.介護保険内でのリハビリ ひょんなことからケアマネジャーさんと出会い、お世話になることを決め、バスでも通えるリハビリの病院を紹介頂き、週1回通い始めました。 60代、70代、80代の方が、40〜50名サービスを受けておられました。 15分のリハビリを受け、体操、自転車こぎなどをしました。 しかし、私は回復が感じられなかったので、リハビリの先生に相談したところ、保険内のリハビリでは現状維持が限界で、更なる回復を望むなら、自費リハビリが良いと勧められました。
2.自費リハビリ •地元でのリハビリ 私は、まず近くのリハビリ病院を探して数件で体験させていただきました。でも、そこで装具を使うことを勧められたので、もう少し範囲を広げることを決めて、病院を探したところ、名古屋の病院へ行くことにしました。
・名古屋でのリハビリ 名古屋は遠く大変でしたが、先生方に身休のバランスが取れるように、リハビリしてくださいました。軽く走れるように教えてくださいました。しかし、高額なため、長く通うのは難しいので、引き続きネットで病院を探し続けたところ、堀尾先生のホームページ、リハビリに出会いました。
3.市関連機関でのリハビリ この頃に市のリハビリ施設があることも知りました。そこで、思いがけないことを言われました。施設を利用するには、障害者手帳が必要だとのことでした。私は、雷打たれる程ショックを受けました。もう希望が無くなりました。同じ頃に、近所の年配の方々とお茶に行って、私だけ席を譲って頂いたり、リハビリ病院で一緒だった70代の方に「歩くのが不自由でかわいそうね」と言われたり、良かれと思って頂いたのは分かるのですが、私は『もう自分の人生は終わった』と思い、涙が止まらなくなりました。2, 3日は何もする気になれず、ぼおっっとするか、泣いていました。
4.家に帰ってからの生活 (生活の中で苦しかったこと)
・身体 全体がだるくて、椅子に座るのも辛くてソファーに横になっていました。
・左手に物が触れるとカッターで切ったような痛みがしました。気温が下がると麻痺手が痺れました。温めると痺れが引きました。
・外出しても歩いているとしんどくなってきて、リハビリをやるしかないと自分を奮い立たせて外出しました。
・左足に体重を乗せられなくて、麻痺のない右足にかなりの体重が乗って、身体がだるくなり、すぐに疲れてしまいました。
・食器を洗う時、麻痺側の左手で食器を持とうとしても滑って持てないので、シンクに麻痺手で食器を押さえつけて洗いました。立っているのも疲れました。
・包丁で切る時も、麻痺手で食材を押さえつけても、食材が滑って手で押さえきれなくて困りました。
・洗濯物を干す時も麻痺手で思うよう干せなくて何度も泣きました。
・持ち手の無いところ、家の廊下で転びました。
・お風呂は大好きだったけれど、麻痺の左足が湯船から出る時にふゅッと浮き上がるので酔いそうになりました。
・自動車の運転は、警察から許可頂いていましたが、身体のバランスが悪く、安全に運転する自信が無かったので、到底無理だと思っていました。移動はバスでするか、家族に乗せてもらうしかありませんでした。
も、私は普通に歩くことを諦めきれなくて、必死にリハビリの動画を探しました。そんな時に堀尾先生の動画でのお話を聞いて、同じ脳梗第をされた方がご自分でリハビリされて歩いておられる姿を動画でみて、嬉しくてまた号泣してしまいました。
≪堀尾法リハビリに出会った後≫
①ベットの上での堀尾式リハビリ 堀尾先生の本を何度も読んで、堀尾先生の真似をしました。まず、ベッ卜の上で足を動かしました。最初は麻痺足の左はうまくいかなかったのですが、何度も何日か同じことをするうちに出来るようになってきました。堀尾式リハビリ進捗表に沿ってやりました。ビデオも何度もみました。堀尾先生の優しい声に何度も助まして頂きました。
座位姿勢保持訓練は、堀尾式リハビリ進捗表通りにしました。静止立位あたりは、退院時からできていてスムーズにいきました。
やはり、実際に脳梗塞から自力でリハビリされた方の進捗表が手元にあることは、心の支えになりました。絶対に歩けるようになる自信が湧いてきて、不安が少なくなりました。ビデオや本を見ながら自宅でもリハビリ出来るのは、金銭的にも不安が無くなり安心しました。安心したら、気持ちが軽くなってきて冗談を言う余裕ができて、明るくなってきました。家族は、私が明るく前向きになって喜んでいました。
②車椅子でのリハビリ 私は、歩く時の両足の着地が足の外側からしか出来ず、母指球から着地出来ないことが非常に気になっていました。だから、堀尾先生は車椅子でもリハビリされているの見て、まず足の着地の練習をすることにしました。車椅子は無かったので、私は、車椅子を借りれるところ、地域会館や、スーパーマーケットのどで練習させて貰ったものの、十分に練習することはできませんでした。今でも着地に不安があります。若地が上手くいけば、もう少しちゃんと歩けるような気がしています。
③堀尾式足首痙縮リッセター 足首の痙縮が気になっていたので、堀尾式足首痙縮リッセターを購入して、痙縮改善もしました。最初は、何度もトイレに行きたくなって、うまくいきませんでした。吉井さんに、ラインで相談にのって頂き、アドパイスを頂きました。ほんの些細なことにも丁寧に対応して説明してくださいました。本当に有難く、嬉しかったです。お忙しい中、本当にありがとうございました。足首痙縮リッセター装着を続けていくと、だんだん足首の変な曲がりや、硬さが改善していきました。足首の変なグニャグニャした感じも無くなっていきました。足を着地させた時に、あっ!何か違うと感じました。
④筋力パランスローブ とりあえず歩いてはいたのですが、私は、自分の歩き方が嫌でした。麻痺の左足を真っ直ぐに出せないのです。よく言われる【ぶん回し歩行】になってしまうのです。そこで、筋力バランスローブを購入していたので、バランスロープをかなり長い期間やりました。一回足が上がるまでかなり時間がかかったし、錘もかなり重かったです。正直なところ不安でしたが、だんだん軽く上がるようになっていきました。私は、テレビ視聴の邪魔にならない場所にパランスロープを設置して、休憩しながら何度も何度もやりました。次第に歩く時に麻痺足の左足を真っ直ぐ前に出せるようになってきました。
⑤その場足踏み 歩く時に、やっと左足を前に出せるようになって静止立位、動体バランスの練習を始めました。当初、その場足踏みをすると身体全体がフラフラ揺れました。身体全休がだるくなり、麻痺足だけではなく、健足側も重く感じました。健手で手すりや椅子の背を持っても短い時間でも非常に疲れました。手すりなど持たない時は、その場足踏みは一瞬しか出来ませんでした。正直なところ、しんどくてその場足踏みは少ししかしませんでした。
今年一月になって、吉井さんにお声掛け頂き、もう一度その場足踏みをすることにしました。毎日、休憩しながらその場足踏みを続けていると、少しずつ健側右足でしっかり揺れずに足踏み出来るようになってきました。そして、麻痺足の左足でもしっかりと膝を上げて足踏み出来るようになってきました。その場足踏みを少しずつ長く出来るようになって、身体全体がだるいのもましになってきました。今は大きくぶれずに足踏み出来るようになったように感じます。
気持ちの上でも落ち着き、好きなピアノ曲を弾いてみたいと意欲が湧いてきました。実際に楽譜を買って仕上げる計画を立てて、少しずつ進めています。
私は、元々旅行が好きでした。でも、もう無理と諦めていました。しかし、足踏みが楽しくなってきて、具体的な旅行の計画を立てたり、旅行の動画を観たりするようになりました。
また、仕事復帰するために運転の練習を始めました。初日は近くの広い駐車場で主人に助手席に乗って貰って練習したのですが、これはダメだと思い、プロの先生に数時間指導して頂きました。今では、倒れる以前のように車の運転をしています。バスなどで移動している時に比べてとても便利になりました。このように、生活がだんだん楽になりました。気持ちも明るく、楽しく、様々なことに意欲的になってきました。
耐荷重訓練もしています。少しずつ長く健側を出せるようになってきました。でも、訓練をしたらまだまだ良くなると信じて訓練します。
しかし、気持ちが行ったり、来たりして、リハビリをしていても不安になる時もあります。なかなか思うように歩けない、バランスが悪くフラッとする、友達や親しい人と会って話を聞いて焦る、そんな時、私は、本当に歩けるのか、仕事に復帰して、再発せずに仕事を統けることが出来るのか、主治医に仕事復帰(主治医は来年も休職して、再来年復帰はどうか?と言われている)を許可してもらえるのか、経済的に休職してやっていけるのか?私の性格だと思うのですが、いろんなことを悪い方に考えてしまうこともあります。
次の日は、また頑張ろうと思えるのですが。
⑥心の奥底の気持ち 様々な気持ちが浮かぶ私ですが、堀尾式リハビリに出会い、生きていく勇気を頂きました。それは問違いないことです。堀尾式リハビリを信じて、自分を信じて、引き続きリハビリを続けます。自分の頭の中で思い浮かべることが出来ることは、必ず実現出来ると信じて頑張ります。
いつも勇気づけて頂き本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
可能な限り、後遺症に苦しむ方がおられましたら、堀尾式リハビリを伝えていきたいと思っております。
⑦新たな出発 新しい、年が明けて、私は歩行、パソコン、教育、ピアノを計画的に練習するようになりました。麻痺手に物が触れると、相変わらず痛みは走るけれど、我慢できない程の痛みではないので、痛みのある私も受け人れることにしました。思い悩んでも仕方がない、生かして頂いたことに感謝して、この身体に付き合っていこうと決めました。すると、どんどん気持ちが明るく元気になってきました。
ピアノもどんどん麻痺手が動くようになってきています。入院する前に弾いていた曲の一部を弾けるようになってきました。嬉しいです。
手も足も時間と共にどんどん回復していることが自分でも実感出来ます。だから、人から「かわいそうね」と言われても、悲しんだり、無神経と怒ったりする必要はないのです。【こんな考えの人もいるんだ!】とおおらかに考えて、諦めずに明るく、元気に過ごしているうちに、どんどん回復すると私は思います。
辛いこともありますが、多くの方々から優しくして頂きました。大切にして生きていけたらいいなと思います。有難うございます。こんな風に考えられるようになったのは、やはり堀尾式リハビリを始めたお陰です。
⑥周りの方々 私が入院した為に、家族、姉、友達、仕事仲間、近所の方々に随分心配をかけてしまいました。衣類を用意してもらい、洗濯もしてくれました。忙しい中、お見舞いにも来てくださって、たくさん励ましてくださいました。本当にありがたかったです。
病院を退院してからも、私の身体はどこまでも回復するのか、不安に感じておられる方も多かったと思います。「もっと回復するんでしょう」、「退院出来て良かったね」、「ちょっとしんどそうやね」など、いろんなことを仰っていました。
しかし、私が堀尾式リハビリに出会って、どんどん明るく元気になっていくのを見ていて、かなり安心されたようです。旅行に誘ってくれる人も出てきました。仕事もあと10年は頑張りたいです。
私は、多くの方々に助けて頂いたお陰で、元気に明るく生きてこれました。病気をした時もそれぞれにサポートの仕方を考え、助けて供きました。これからも、周り方々に感謝して、協力して明るく元気に生きていこうと思います。
【46歳女性、5年前に右被殻出血にて左半身麻痺、手は全く動かせず】
インターネットで堀尾法というものを知り、ダメ元でやってみようとやり始め、そして絶対に動くと自分に言い聞かせて「動け」と念じ続けました。
そして3日目の夜、布団に横になってもずっと動けと念じていたら、親指がピクリと動きました。 動かなくなって5年経ってますので、「えっ、本当に動いた、やったー!」と思いましたね。
それからも手指リセッターを一日に何回かはめながら、外したときには「動け」を念じ続けていましたら、いつしか(約2週間)、ほぼ全部の指に少しですが動きが出てきました。
これからもっと動くようにリハビリを続けていこうと思いました。 私もこれまで諦めていたこともありました。 「潜在意識で動かないと思っていたら動かない」と堀尾先生が言われていましたので、無意識のうちに動かないと思い込んでいるのかもしれないと考え、「動くんだ」ということを常に思って「動け、動け!」と念じていました。
私の周りにも脳卒中で手が動かない方がおられますので、自分が成功して、その方にお伝えできたらと思いました。
【69歳、脳梗塞左麻痺男性、リハビリ病院退院2週間後に堀尾さんの指導を受ける】
私に堀尾憲市という人物と残念ながら今や遺稿となってしまった彼の出版本「奇跡の復活」と「続奇跡の復活麻痺は治る」の存在を教えてくれたのは、正に脳梗塞の後遺症に依る上下肢麻痺の回復治療のため、一般のリハビリ病院へ転院する私の症状を案じ「何としてでも治って欲しい」との思いから手を尽くし、脳梗塞関係の文献を探し回ってくれた他ならぬ我が妻でした。
結局150日間の入院生活を余儀なくされるのですが、日々多くの(1日に3~4回)施術を受ける割には、一向に回復の兆しが見えず半ば絶望し、途方に暮れる私にとって奇跡の復活は地獄に仏·福音書とも呼べる本でリハビリの傍ら読み進めましたが、中味は堀尾先生の実体験そのものですから一つ一つの事に納得できて自分でも出来ると思われる内容(リハビリの)であるため絶望的状況に在りながら私でも復活が可能だと確信出来る目からウロコの知識、知見を得て喜々として実に嬉しく読み進めたことでした。
余談になりますがリハビリ師の口から「必ず治ります。」という言葉を聞くことは有りません。まるで禁句にでもなっているみたいに、しかしそのことも納得、実際に治って退院していく患者を見ていませんし、私もその一人だったからです。そのことを彼等は分かっているからでしょう、治ると言えないのは……、悲しい一般のリハビリ病院の現実が此処にあります。国家の施策であるのに…、世界的に見てもそう…。
一人だけ堀尾先生の存在を教えたリハビリ師が居ます。彼は私の話に興味を持ち、進んで奇跡の復活を取り寄せて読んでくれ、堀尾法を理解し、国家資格を持ちながら自らの患者に応用し施術をしており、今にしてみれば唯一堀尾法を理解してくれたリハビリ師の懐かしい思い出です。聞けば彼は30代半ばの青年ですが、他のリハビリ師達の指導的立場にあるらしく、加えて奥様も同業者だとか?然も立位歩行訓練の際に杖を仕様すべきじゃないこと、足首等を補強する為の装具は悪魔のギブスであることを理解している。彼等を通じて一般のリハビリ界にも堀尾法が浸透していけば、今後必ず脳梗塞患者の救いとなる筈で、将来は是非そうなって欲しいと願うばかりです。
退院して10日程経つたある日にビックリする出来事が有りました。堀尾先生から直接電話で、我が家まで堀尾法リハビリの指導に来てくれると言うのです。夢のような話で恐縮しましたが、またとない機会と考えて2023年のゴールデンウィーク期間中でしたが、延べ5日間、我が家で指導してもらう運びとなったのです。その時の動画がこの度「快」フィットネス研究所所長、堀尾法世話人の吉井さんの手で編集していただいた動画です。(下記動画URL参照のこと)
動画を拝見し、勿論編集の腕前も有るのでしょうが?手前味噌か?他のよく見るどんな脳梗塞リハビリ関係の動画よりも説得力のある物になっていると感じられて、吉井さんを始めスタッフの皆様には大いに感謝しています。
岐阜県内のご自宅からはるばる栃木県の我が家に来ていただき指導してもらったのですが、先生との5日間は実に中身の濃い充実した時間でした。
堀尾法リハビリの方法は勿論、先生は自分のリハビリ法を広く世間に知らしめ、多くの脳梗塞の後遺症に悩み苦しむ人々を救いたい事又その為には日本全国何処へでも飛んで行き、堀尾法リハビリの指導がしたいこと。そしてこの私にも堀尾法リハビリの流布に協力して欲しいこと等を熱く語って帰られました。
その後は、2023年の10月末に私の症状を確認為の電話を頂き、お話しをしたばかりでしたが、2024年の正月早々、吉井さんからのメールで亡くなられた事を知りました。場所も患者さん宅を訪問している和歌山県内であるとか?フットワークの軽い先生ならではの亡くなり方だとは思うものの、実に尊く大切な、惜しい人が此の世を去りました。残念でなりません。
先生の亡き後、私自身の堀尾法リハビリは未だ道半ばです。「継続は力なり」を信条に諦めず「自分は選ばれて病気になったのだ…」(←先生の受け売りです。)を心に刻み自分自身の復活に努める所存です。 先生の意志である堀尾法リハビリの広報(流布)担当者としては今暫くの猶予を頂きたくお願いすることとして、堀尾先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
堀尾さん指導の動画
①手の指導はコチラ→
動画を見る
②歩行の指導はコチラ→
動画を見る
【1年間の通常リハビリの成果が出ず落ち込んでいた男性】
56歳、男性、脳出血、右麻痺、装具歩行、右手はほとんど使えず
「奥様からの堀尾法指導までの経緯報告」
2021年3月に左視床出血のため、右半身麻痺になりました。56歳でした。
半年後に退院した頃には、杖を使って装具をはめて一応は歩くことはでき、お風呂・トイレ・着替えなどの最低限の行動も習得していました。
ですが、体のバランスが悪いので気を許すと転んでしまう状態でした。手は痙縮があり、指や腕を動かすことはできましたが、日常生活で使うことはできず、右手があることさえ忘れているようでまずは使ってみようという意志もありませんでした。
退院から3ヶ月間、同じ病院で週2回のリハビリに通い、その後(12月後半から)は脳卒中専門リハビリに週1回の割合で7月初めまでに20回ほど通いました。
退院した当初は、本人もリハビリに一生懸命取り組んでいました。特に脳卒中専門リハビリに通い始めた時は、イキイキしていましたが、なかなか成果らしい成果が見えず、だんだんと「もう何をやってもダメだ」という気持ちばかりが強くなり、7月から9月半ばに堀尾先生と出会うまでは全く何もせず、一日中ソファーに座りテレビを見て、眠くなればそのままウトウトと眠り、また起きてテレビを見る…の繰り返しでした。
この病気になってから、生き延びたことを恨めしく感じ、あの時で死んでいればとか手が思うように使えないので自分で死ぬことさえもできないから殺してほしいなどと、いつでも【命が助かったのだから一生懸命頑張って生きよう】ではなく【どうしたら早く死ねるか】を考えながら生活しているという状態でした。
コツコツ頑張る努力が大きな成果を生むことを誰よりも知っていて、子供たちにそれを実感させ続けてきた本人なのに、この頃は私や娘が、そのこと言っても何一つ頭に入らないようでした。
そんな状態の主人を毎日相手にしている私も時々つらくてどうしようもなく不安になったりすることもありましたが、ここで私が弱くなったらいけないと自分自身を奮い立たせていくという繰り返しの状態を心配していた娘がネットで堀尾先生を見つけ、指導を受けることができました。
※2022年9月に堀尾さんの直接指導を約1週間受け、歩行が安定し、鉛筆を持ち動かせるまでに回復しました。
その時の本人の感想です。
・自分の体を自分自身が信じてあげようと思いを強くした一週間でした。
・堀尾先生のお言葉は、私自身の支えとなり、これからの人生の目標になりました。
【7/15宇都宮アンケート】
・脳卒中、脊損の方だけではなく、自分と関わる患者さんにも通ずる事(考え方)でしたので満足です。
・モチベーションの継続法・リラックスしないと
・とても素晴らしい内容に感謝
・リハビリの仕方を教えて頂き、勉強になりました。分かりやすかった。
・満足ですが、今、自分に介護する人がいないので、ピンとこ来ない所があり、申し訳ない気持ちです。
・今まで聞いていたリハビリ方法がくつがえされた感じがしました。
・話し回復、立つ、歩く回復します。ささやく&もがくが大切ね。
・当たり前のこと、当たり前にすることで復活できる勇気をいただきました。
・疑問に対して明確な解答でした。
・今後の施術に活かしていきたいと思います。「リハビリは決して楽ではダメ。もがいてなんぼ」立ったり、座ったり、手助けし過ぎてもダメ。。。良かったです。
・昨年、二本松会場に参加、感動。今日も参加できて良かった。宇都宮で開催して頂き、感謝します。
・個人的に指導して頂きありがとうございました。リハビリの仕方をもっと色々と教えて頂きたかったです。
・今後のためには、すごく勉強になりました。何事も前向きに努力すれば必ず良い事もあるかと思います。別の意味でも元気になりました。悩み多き主婦です。
・主人が倒れて、堀尾法を知って以来、本、ネットを熟読してきましたが、この宇都宮で勉強会に参加できるとは・・・。とても感謝しています。もう少し個別の時間があると良かったと少し思います。
・リハビリは自力、自立、もがきを経ての達成感を得る喜びがいかに大切かを学びました。サロン指導員として、先生のお話を活用させていただきたいと思いました。また、「心は泣いていても、嘘でも笑う」という言葉がとても身に沁みました。出会えて光栄です。感謝にて。 私の希望「元気に死ぬ!!」
・私の個別的に話してくださり、ありがとうございます。本当のリハビリの仕方を学んだ。もがく、ささやくが脳の仕方が大切ですね。本来のリハビリのやり方を学んだ。ありがとう。
・赤ちゃんのやり方が参考になった。的確な指導が良かった。その人を励ますことが良かった。ささやくこと。お米をやること。もがくことがリハビリ→この言葉に共感した。
【脳梗塞】宮城県仙台市在住、53歳女性、、H.Sさん
堀尾法、講演会・体験会に参加させていただきありがとうございました。とても、有意義な時間を過ごすことが出来ました。堀尾先生の、[大丈夫!動くから!』という言葉にすごく勇気づけられましたし、明るい希望も持つ事が出来ました。元の自分に戻ってやる!と、前の様に活発に動いている自分の姿を常にイメージして、この1年4ヵ月過ごしてきました。遅々として進まない左麻痺の改善に焦りを感じつつも、何かしらの手段はあるはずだ!と信じていたところに、堀尾先生の体験会の情報!!絶対参加すると決めて当日を迎えました。先生のお話する言葉に、一々、納得しながら聴くことが出来ました。そして、その人の症状に合わせたリハビリ方法を、丁寧に教えていただきました。内心では、宮古島の施設に行きたい!!と思いながら。脳卒中痲痺による障害状態にはなりましたが、そんな自分だからこそできることがあると、入院中のベットの上で構想を練っていましたので、その構想を形にする為に、動ける様になる!と心に決めています。そんなタイミングで、出逢えた堀尾先生は、きっと、救世主なのだと感じています。出逢いに感謝しております。教えて頂だいたリハビリ方法を実践して、奇跡を起こすぞ!と思いました。そして、周りの痲痺に苦しんでいる方々にも教えてあげたいと思いましたヽ(^∇^)ノありがとうございました。
【健常・理学療法士】宮城県仙台市在住
今回の一番の学びは、「麻痺は治る」ということです。リハビリの教育は、麻痺は治らない。付き合っていくしかない。と教えられており、装具や動作の方法を教えています。
しかし、その方法は、大きな間違いで、動作に変なクセをつけてしまうことだと知りました。ここをリハビリの専門職の人たちは、反省すべき点だと思いました。
脳卒中により、脳がダメージを受けると、産まれたての赤ちゃんと同じ状態になり、ゼロから動作を習得していきます。その時に、装具を付けて、無理やり歩いて、恐怖を感じながらガチガチ歩容で歩かせる。今のリハビリの現状がこれです。結果、手足を固めながら歩く不安定な歩行となっています。
多くのリハビリ職は、歩けない状態から、歩けるようになったことを誇らしく思い、「変なクセをつけている」とは思っていません。ここに、大きな間違いがあるのだと思います。
それと、もう一つの間違えは、3単位60分のリハビリを最高のリハビリと勘違いしています。これは、セラピストだけでなく、患者さんも同じです。1日24時間あるうちのたった60分のリハビリで良くなる可能性は低いです。それよりも、日常の中にある、食べ物に手を伸ばす、トイレの時にしっかり立つなどの、動作を試行錯誤しながら行うことが本当に役に立つリハビリだと思います。
60分のリハビリが、一番効果があるリハビリだ!思って指導しているセラピストに責任があると思います。僕たちは考え方を変えなければ、麻痺が治る手助けはできないと思います。
僕たちセラピストが60分の間にやらなければならないことは、3つだと思います。
①目標の設定
患者さんは、何に困っていて、どんなことができなくて、何がしたいのか?を聞き、患者さんと一緒に目標を設定します。この時、注意することは、セラピストよがりの目標にしないこと。つい、この人の目標は、杖歩行!とやりがちですが、意外と、患者さんからしてみれば、ご飯を食べる時に茶碗を持てるようになりたい。と思っていることがあるので、必ず、目標設定は、患者さん主体で、確認と承認が取れたものを目標とします。
②自主トレ指導
次に自主トレ指導では、堀尾先生のやり方を参考にメニューを決めます。目標を設定し、達成できるための要素を見つけ、堀尾先生のやり方を参考にしながら、患者さんが無理なく、安全にできるリハビリメニューを考えます。
③効果の評価
自主トレを実践して、どれくらい良くなったかを評価する。良くなっている部分を見つけて、目標に近づいていることを患者さんとお互いに感じあって、次の目標達成への原動力となるサポートをする
以上、3つです。
ポイントは、セラピストは、自主トレを継続できるようサポートすることだと思います。
堀尾先生は、意思が強く、セラピストの必要性は無かったと思いますが、人によっては、セラピストがいることで、自主トレの継続率がアップします。
ある文献では、自主トレ継続率を上げるには、定期的なリハビリセラピストの訪問。とありました。一人で続けることは、大変です。やり方合っているのかなぁ?意味があるのかなぁ?などなど、不安な部分がたくさん出てきます。その時にセラピストが的確なアドバイスをすることで、自主トレを継続し、目標を達成することができるようになります。
なので、リハビリセラピストは、60分機能訓練だけをするのではなく、①目標を設定②自主トレ指導③効果の評価をやって、患者さんを勇気付け、自主トレの継続率を上げることが一番の仕事だと思います。
今回の、堀尾先生のお話を聞いて、セラピストが学ぶべき点が多かったと思います。次は、僕が実践して、セラピスト達とシェアしたいと思います。一人でも多くの、麻痺で悩まれている方の、希望の光となれる様に、学び合って行きたいと思います。価値ある知恵をいただけたことを心から感謝しております。ありがとうございました。
【脳梗塞】三重県熊野市在住、80歳男性、78歳発症、Y.Sさん
私は、2年半前に脳梗塞を発症し、片麻痺の後遺症を残しました。昨年暮れの二本松市での復活会に参加し、12年前に発症した方の右手の二本指が動いたのを見て驚きました。
その後、先生に2日間見ていただき、ご指導していただきました。ご自分で復活された先生のお言葉の一つ一つに実感がこもっており、自分で治ると信じて訓練する事の大事さがよく理解できましたので、これまで2年間行っていた週4回の通所と訪問のリハビリを取りやめ堀尾法の自主トレ日課表を作成し、実践した結果、足が安定してきたのと、動かなかった指に力が入ってくるなどかなり回復してきており、生きる希望と勇気をいただき、感謝しております。
脳の復活には、成功体験を積み重ね、身体に覚えさせる、量より質の大切さを痛感しながら訓練に励んでおります。お陰様で5月から一人生活をする予定でおります。有難うございました。心から感謝申し上げます。
【健常】三重県桑名市在住、63歳女性、N.Kさん、ご主人が脳梗塞を1年8ヶ月前に発症
夫が脳梗塞を発症したのは1年8か月前、63歳の時です。言語と右手足に重度の後遺症が残りました。もともと身体能力が高く、リハビリに熱心に取り組んだこともあり、現在は不自由ながらも何とか日常生活を送れるまでになりました。
しかしながら、夫本来の姿からは程遠く、まだまだ何かできることがあるのではないか。そう模索しているうちに堀尾先生という存在を知り、お電話をしたところ「人生を取り戻しましょう」と言われたのです。
そして、今回東北で開催される実践会に参加しようと思い立ちました。先生の理論、実践方法はまるで従来のリハビリとかけ離れていますが、直感的に深く納得するものがありました。夫も、先生のお話をお聞きし指導を受けることで「腑に落ちた」と。
赤ちゃんが、同じ動作を繰り返していくうちに獲得していく手足の動きからの学びとか、今までの常識にとらわれないこととか。そして何より、人間のからだの自己治癒力のすばらしさ。先生ご自身が患者本人であったからこそ知り得たことだと思います。
夫は帰宅後早々に車椅子を入手し、教えていただいた基礎訓練を始めています。数日前から、動かなかった足先が少し動きだしました。山男だった夫が、再び山に登れる日がきっと来る!その日に向かって日々訓練に励むよう、時に厳しく応援していきたいと思っています。
【原因不明左麻痺】山形県山形市在住、21歳男性、13歳発症、T.Oさん
今まで色々な所でリハビリをしてきましたが手応えが感じられませんでした。ですが堀尾先生の方法でしてみたところ、これまでにない変化がみられました。これからも続けていき、動かせるようになりたいです。(編者追記:握力ゼロだった手が動かせるようになり3ヶ月後には握力が5㎏になりました。)
【脳出血】福島県郡山市在住、58歳男性、54歳発症、N.Oさん
私は、入院加療中、医師やセラピストから多くのアドバイスをいただき数々のリハビリを重ねてきた。しかし、堀尾さんの発想や言葉は、そのどれにも属していないことに驚かされた。
例えば補装具。「補装具は付けない方がいいですね。もとの体に戻るためにリハビリするのですから。」そんなことを言う医療従事者は一人もいなかった。
次に歩行。病院では「とにかく移動することができれば御の字。どんどん歩いて筋力を付けて。」とアドバイスされた。しかし、堀尾さんは真反対のことを言う。「歩いてはいけない。筋肉が偏った足の使い方を覚えてしまったら、必ず他の箇所に歪みが出る。その場足踏みを少しだけするのがいい。10回以上やってはダメ。10回やったら本を読んだりテレビを見たりして訓練したことを一旦忘れさせることが大事。」
私は唖然としてしまった。突然体の自由を奪われた者の心は「死に物狂いでがむしゃらに頑張らなければ、先の人生は無い。」くらいのどん底である。しかし、堀尾さんは「過負荷はリハビリを遠回りさせる。もう少しやりたいというところで止めさせることで脳が〝動きたい〟という意欲を取り戻す。」というのだ。どん底を体験し、そこから這い上がってきた人の言葉には厚みがある。
堀尾さん語録で私が一番気に入っているのはこの言葉だ。「歩けさえすればいいなんて思っちゃだめ。かっこよく歩かなくちゃ」。 おおげさな言い方かもしれないが、堀尾さんとの出会いは「生命観のパラダイム・シフト」であった。
【健常】福島県福島市在住、女性、ケアマネージャー、N.Tさん、
今日貴重なレクチャーの機会をありがとうございました。 子供の脳細胞の再編は耳にしていましたが、大人できる。そして特別な人だけではないということを知り、衝撃でした。本当に何年たっても動けるようになる人を目の前にして、この事を多くの人に知ってもらいたいと思います。これは現実です。リハビリの専門家でない堀尾さんが自身の体験からあみだした論理と具体的な方法で麻痺の手足が動き出す。痛みもない方法で当事者にとって優しいことも感動しました。
周りには沢山の患者さんがおられます。私一人ではどうしようもないので同士を増やしていくことをしていきたいなと思います。その前に実証しなければならないですね。
【パーキンソン病】70歳男性、67歳で発症、U.Kさんの奥様
お世話になっております。大変 効果があったようです。お礼をしょうと思っていました。 次の日から足踏み10回休みを繰り返し。頭づき(椅子からの立ち上がり練習)、発声練習、足首回し。自分から言われた事をいつの間にかやってます。
死んだ方がましだ と言っていたのにニコニコするようになり行く方向が変わったようです。よろしくお願いいたします。
【健常】山形県山形市在住、女性、T.Tさん
指のハラの重要性、指先を動かすために肩、腕の靭帯が精密にできている。確かに生きる為には指先を動かすことは大切ですよね。自己治癒力を最大限に発揮させるという考え方は同感です。自分で治すという思いが脳の活性や神経をつながらせるのかも。今回来ていた方達を見ていて、それぞれの環境や意識の違いによって治り方もまちまちだと思いました。支えてくれる人、励ましてくれる仲間は大切ですね。堀尾さんの言葉を信じるか信じないか、信じることも自己治癒力かなぁ。あと、感謝の気持ち!
また、まだ人間の体はわからないことだらけ、“サムシング・グレート” 未知の世界。あきらめる前に考えて楽しむ。 でも、あきらめてしまうとそこから気づくことって難しいのでは・・・。
やはり、成功体験、 頑張りすぎないこと。緩めることって案外大変ということは、バランスボール、ラフターをやってて感じます。 現実的な体の使い方よりも堀尾さんのほんわかした声かけで皆さんのやる気が変わって笑顔になる瞬間に感動しました。